マンドリンのきっかけは誘われたことです。マンドリンオーケストラから始めて現在はマンドリン独奏です。マンドリンオーケストラはやっていません。今回はマンドリンオーケストラを辞めてマンドリン独奏に転向したことを書きます。これからマンドリン独奏に挑戦する方の役に立てれば幸いです。
マンドリン独奏転向のきっかけはマンドリンクラブの人間関係が嫌になったこと
技術士
振り返ると社会人クラブ在籍時は暗い思いでが多かったです。マンドリンを弾くことが苦痛に思えた時期でした。
- マンドリンのスタートはマンドリンオーケストラ(以下、「マンドリン合奏」という)でした。ほとんどの奏者は合奏から入りますね。いきなり独奏はほとんどいません。
- 社会人クラブでマンドリン合奏を始め、パートトップまでキャリアアップしました。振り返ると順調でしたね。
- 社会人クラブは20人前後でしたが、徐々に部員が増加しました。部員が増加するとクラブの人間関係も徐々に悪化していきます。
- 運営側が露骨に影響力のある地元の有力者を贔屓するようになる。
- 一部の人の意見のみで選曲する。
- 優遇する人と軽く扱う人をわける。
- まとまりのあったクラブに地元の有力な奏者を受け入れた頃から綻びが出ました。在籍年数の長い部員を軽く扱い、有力者の考えしか聞かなくなったこと。
- 「演奏したい曲をあげてくれ。指揮するから。」→「こんな曲は指揮したくない。」・・・なら聞くなよ。・・・若い女性の意見のみ聞くなんてこともありました。
- ここまでクラブの雰囲気が悪くなると辞めることも考え始めました。
- 上の写真は広島の規模の大きな会場ですが、こういう場所で演奏会ができるクラブでしたが、運営側の能力不足によりクラブから心が離れていきました。
- 振り返ると暗く落ち込んでいました。音楽をやることがクラブの人間関係で苦痛を感じていましたからね。
マンドリン独奏に惹かれる
技術士
マンドリン独奏のことを知って、軽い気持ちでレッスンを始めましたが最初のレッスンがきっかけでマンドリン独奏することを決意しました。
- マンドリンは好きなため、他に表現できないかと考え、マンドリン独奏を知りました。CDがきっかけでしたが、無伴奏のマンドリン独奏曲に理解できませんでした。
- 重ね録りしているだろうと思っていましたが、一人で同時に弾くことに「どうやったら弾けるんだろう?」が素直な思いでした。
- 広島市にもプロの先生がいるらしい。ネットで調べるとヤマハ音楽教室にマンドリンコース(2024年現在はありませんが・・・)があるため、申し込みました。軽い気持ちです。
- レッスンの初日に「ピッキングからトレモロを弾いてみて」と言われたことを覚えています。動画の弾き方です。
- まったくできませんでした。
- この練習がきっかけでマンドリン独奏をやってみようと決意しました。
合奏と独奏を並行するが合奏を辞めることを決意する
技術士
しばらくは合奏と独奏を並行していましたが・・・合奏に対するストレスがたまっていく一方なので合奏を辞めて独奏に絞りました。マンドリン独奏の演奏会で弾いたとき選択は間違っていなかったと感激しました。
- しばらく合奏と独奏を続けていましたが、徐々に独奏に傾くようになります。
- 人間関係は嫌になり離れると元に戻ることは難しいと痛感します。心に痛みを抱えたまま続けるよりも合奏を辞めて独奏一本でやっていこうと思いました。
- 定期演奏会を最後に所属していた社会人クラブから退部しました。
- 辞めた後はストレスがなくなり、先生に師事し独奏にのめり込むことになります。
- 初めてマンドリン独奏の演奏会をした時は進んだ道が間違っていなかったと思いました。その時に弾いたのがカラーチェの「星空」です。比較的易しいマンドリン独奏曲として有名な曲です。
- 並行で続けられるほどマンドリン独奏は易しい世界ではなかった。
- ストレスを抱えながら合奏を続けたくなかった。
- 中途半端に続けるくらいなら辞めた方が良いことが学んだことでした。
- 音楽が好きなら素直になろうと思い今もマンドリン独奏を続けています。その後、コロナ禍を除けば年1回ペースでマンドリン独奏の演奏会があり弾いています。
- こんなステージで一人で弾けることはマンドリン独奏しか経験できないことです。
- マンドリン独奏に転向したからこそ、マンドリンを弾く楽しさ、ステージでマンドリン独奏曲を弾くことの達成感を味わうことができました。
- これからも続けていきたいと思います。
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