全国にマンドリン関係者は約20万人と言われています。その中でマンドリン独奏をする人は何人いるやら・・・マンドリン独奏に挑戦したことを書きます。
- 社会人クラブでマンドリンを弾く楽しさを失った。
- マンドリン独奏でマンドリンを弾く楽しさを思い出した。
合奏が楽しくなかった
技術士
マンドリン独奏する前は社会人クラブに所属していましたが、マンドリンを弾く楽しさがなくなってきました。
- 20代から30代にかけては社会人のマンドリンクラブに所属していました。1stのトップを担当し、それなりに充実していましたが、合奏は辛かったです。
- クラブ内の人間関係が辛かった。
- マンドリンを弾くことの楽しさが失われた。
- 弾きたくない曲を演奏することが辛かった。
- クラブは広島の公民館活動を主体としたもので、地元の行事から定期演奏会までありました。広島の社会人クラブの中でも演奏会は多かった方でした。
- 写真のような中規模のホールで定期演奏会も行い充実していました。
- クラブ内の人間関係と弾く楽しさがなくなったことはモチベーションの低下ということでは同じです。
- 外部の人や影響力のある人の意見を優先し、部員の意見を聞かなくなったことで、徐々にクラブから心が離れます。「なぜ、生え抜きの人を無視するのか・・・」そう思うことが多くなりました。
- 「弾きたい曲をいえば準備するよ」と言われ、意見したら「そんな曲は作りたくない」と拒否される・・・「じゃぁ、なぜ言った?」となります。選曲ではこんなこともよくありました。
- クラブ活動するほどマンドリンを弾く楽しさがなくなりました。
マンドリンの先生に出会った
技術士
マンドリンに楽しさが失われた頃にマンドリン独奏を教わり、マンドリンを弾く楽しさを思い出しました。ステージでマンドリン独奏曲を弾いたことは今でも覚えています。
- クラブで活動していると広島にマンドリンのプロがいることを聞きました。
- 敷居が高そうだなと思っていましたが、ヤマハ音楽教室でレッスンを受けることができ、会社からも近いから申し込みました。やりたい訳ではなかったですが、個人で教わるならと思いマンドリン独奏をやってみようと思いました。
- ダンディな雰囲気のある先生だ・・・第一印象を受け、早速教わると・・・先生に言われたとおりに弾けない・・・なぜ弾けない?・・・今まで教わったこともなかったことだったのでインパクトありました。
- 基礎練習だけでしたが、マンドリンを弾く楽しみが戻ってきました。最初に教わったことは以下のとおりです。
- 右手のフォームの修正
- ピッキングからトレモロへ回転数を上げる練習
- 右手のフォームがめちゃくちゃだったので、ピッキングから徐々にトレモロへ移行する練習で修正しました。目から鱗でした。先生に出会わないとわからなかったことです。当時は写真にようなオーソドックスな右手ではなく「くの字」に肘を曲げて弾いていました。
- レッスンに通ってから1年後だったかクラブで定期演奏会を開催することになりました。この辺りが辞め時かな・・・思っていました。
- クラブを辞めてマンドリン独奏に専念したい!!・・・この時の本音でしたね。
- 辞めた後はレッスンを中心に活動し、修行を積んでいました。
- 教室の演奏会が開催され、マンドリン独奏曲を弾くことができました。クラブを辞めてからマンドリン独奏に本腰を入れ、マンドリン独奏家として一歩踏み入れたな・・・当時の気持ちでした。
- デビュー曲はカラーチェの「星空」でした。マンドリン独奏曲として挑戦する奏者も多く有名曲ですね。当時の音源は友人に譲ったのでありませんが、YouTubeにアップしたのがあります。
- 廿日市の「さくらぴあ」で弾きました。音が響くホールです。今でもステージのことを覚えています。
これからもマンドリン独奏を続けたい
技術士
これからもマンドリン独奏を続けます。一方、合奏ですが、コロナや部員の高齢化の影響でクラブで活動することはないだろうなぁと思います。
- その後は、年1回のペースでマンドリン独奏の演奏会があり、弾いてきました。
- 選曲して、レッスンで指導を受け、本番で弾く・・・このサイクルでした。
- コロナで活動停止に追い込まれましたが、2023年9月に演奏会が再開されました。
- これからもマンドリン独奏を続けていきます。
- 合奏をやりたくないのか?・・・とたまに言われることがありますが、オファーはありました。ですがコロナにより、広島市の社会人クラブはほとんどが活動中止に追い込まれました。中には有名なクラブもあります。
- オファーされたクラブも2023年末では活動中止です。部員の高齢化の影響もありますが、活動することはないので、合奏はないですね。
最後まで、読んでいただきありがとうございます。
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