ほとんどの奏者にあてはまりますが、合奏からマンドリンを始めました。合奏を始めて数年は楽しかったですが、徐々に合奏することが苦痛になり独奏に移行しました。
社会人マンドリンクラブに所属していた頃
社会人マンドリンクラブで活動スタート

技術士
広島の社会人マンドリンクラブで活動を始めた頃はよく練習しました。合奏後の打ち上げも楽しみでしたね。
- 地方のマンドリン奏者は大抵は合奏から始めます。自分もそうです。
- 広島に来てから本格的にマンドリンにはまり、マンドリン専門店の紹介で2つの社会人マンドリンクラブに所属しました。当時住んでいた場所にあったクラブにはマンドリンとして、知り合いが所属していたクラブにはマンドラでした。
- 広島の社会人マンドリンクラブは、公民館活動が主体でした。公民館で練習し、公民館の行事で演奏することが基本です。無我夢中で弾いていましたので楽しかったですね。
- 演奏会後の打ち上げも良い思い出でした。
- クラブでの活動は楽しかった。無我夢中で弾いていた。
徐々にクラブの雰囲気が変わる

技術士
楽しさから徐々にクラブの雰囲気が変わり、嫌な出来事もありました。ためらうことなくクラブを辞めました。
- マンドラで所属していたクラブに変化があります。活動が思うように進まなくなりました。メンバーの出入りがあったためです。練習頻度も開き、自分も出入りが難しくなりました。
- メンバーも高齢化していましたのでやむをえないと思っていました。活動の中心が地元のマンドリンで所属していたクラブ中心になります。
- 徐々にクラブの方向性がおかしくなってきます。指揮者の編曲した曲、特定の作曲者の曲しか演奏しない。クラブに長期間在籍した奏者の扱いが悪くなり、特定の部員を優遇する・・・おかしくないか?
- 徐々にクラブにいることに苦痛を覚えてきました。そしてパワハラめいた言動・・・パワハラ、古参の部員の扱いの悪さ・・・定期演奏会後に辞めました。
- 先生から「相談してほしかった」と言われましたが、先生を巻き込みたくなかったのが本音です。
- クラブの雰囲気が徐々に変わり、嫌な面が目立つようになる。声を上げる前に辞めることを決意する。ただ、先生には事前に相談すべきだった。
マンドリン独奏へ挑戦
マンドリン独奏家としてデビュー

技術士
マンドリン独奏に挑み初めての演奏会を終えた時、クラブを決別して良かったと思いました。
- クラブを辞めてからはマンドリン独奏へ一直線でした。
- とはいえ緊張しやすい性格のため、先生が目の前にたつだけでも緊張感で弾けないこともありました。
- 基礎練習からやり直して独奏曲に辿り着くまで2年くらいでした。クラブに戻りたくなかったので、苦痛ではなかったですが、なかなか成長が実感できない日々でしたね。
- 先生に認められてステージで弾けるのに3年くらいかかったと思います。

- 広島県廿日市の「さくらぴあ」が独奏デビューでした。音が鳴る会場です。小ホールと言いながら100人以上の収容力のあるステージです。

- デビュー曲は、カラーチェの「星空」でした。クラブを決別し独奏に踏み切ったことは間違いではなかったと感じました。以降は先生主催の演奏会に出演しています。
- マンドリン独奏に踏み切ったことは間違いではなかった。デビューまでの道のりは長かったが演奏を終えたときの喜びは合奏では経験できない。
デビュー以降のこと

技術士
コロナ禍、クラブ内のトラブルでメンバーが大幅に変更・・・残っていても退団したんだろうなぁと思いました。
- 先生の教室に通い演奏会に出演すると、マンドラを弾いていた頃の仲間たちと再会することもあります。クラブの活動停止に伴い先生が指揮するクラブで弾いているようで、こういった再会は良かったですね。お互い元気に活動していることがわかっただけでも嬉しいものです。
- 独奏の活動が進んでいましたが、コロナ禍が起こります。広島の社会人マンドリンクラブは活動停止に追い込まれ、解散するクラブもありました。
- マンドリンで所属していたクラブは、自分が所属していた頃と顔ぶれが大幅に変わり、知っている部員がほとんどいない状態に・・・トラブルがあったことは聞きましたので、遠かれ遅かれクラブから退団していたことは間違いないです。
- 部員が変わりながらもクラブが残り活動していることは立派とは思いますが、全く別のクラブに見えてしまいますね。
- コロナ禍、部員の高齢化、クラブ内のトラブルで部員が大幅に変わったことを知る。残っていても退団することになったと思う。トラブルの前に退団したことは間違いではなかった。

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